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2014. 08. 05
勝竜寺城@長岡京市
7/11(金) 山崎蒸留所 →→
サントリー山崎蒸留所を出てすぐ京都府入り。
そして次の目的地勝竜寺城跡に到着



<memo>wikiより
南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。
細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても有名。
天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が
勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。
細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、
代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が城主となったが、
翌天正10年(1582年)、本能寺の変によって明智光秀の属城となる。
同年の山崎の戦いで敗走した光秀は勝竜寺城に帰城するも、
羽柴秀吉軍の追撃を受け、勝竜寺城から坂本城へ落ち延びる途中で落命。
翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城。
一方、光秀の援軍要請を断った藤孝は剃髪、
家督を忠興に譲って居城を田辺城に移し、ガラシャは離縁し幽閉してしまった。
面白いっ
山崎はつい先ほどいたところ。丹後や田辺城は昨秋旅した場所。
う~ん、想像が膨らむ

「細川九曜」


敷地内は手入れが行き届いていて、木々を見て歩くのもオススメ。

この時は松のような香りが漂っていて
「沼田丸」

サントリー山崎蒸留所を出てすぐ京都府入り。
そして次の目的地勝竜寺城跡に到着




<memo>wikiより

南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。
細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても有名。
天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が
勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。
細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、
代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が城主となったが、
翌天正10年(1582年)、本能寺の変によって明智光秀の属城となる。
同年の山崎の戦いで敗走した光秀は勝竜寺城に帰城するも、
羽柴秀吉軍の追撃を受け、勝竜寺城から坂本城へ落ち延びる途中で落命。
翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城。
一方、光秀の援軍要請を断った藤孝は剃髪、
家督を忠興に譲って居城を田辺城に移し、ガラシャは離縁し幽閉してしまった。
面白いっ

山崎はつい先ほどいたところ。丹後や田辺城は昨秋旅した場所。
う~ん、想像が膨らむ


「細川九曜」


敷地内は手入れが行き届いていて、木々を見て歩くのもオススメ。

この時は松のような香りが漂っていて

「沼田丸」

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